たいけんのカテゴリーページ

エンカウンター体験

チネイザン仲間のまりっぺが
エンカウンターのファシリテーターになる
ワークショップを受けてきたというので、
早速体験してみました。

非構成的エンカウンターというものらしいですが、
まだちょっと詳しくは説明できません。

まりっぺの言葉を借りると

エンカウンターグループは、日本語で「出会いの座」

ということだそうです。


この日は、チネイザン仲間5人で
座って、話す
ということをしました。

話の内容は置いておいて
やってみた後のわたしの感想。


もう、じぶんのクセやらパターンやらが
丸わかりですね!
ひとにはどう見えているかはわからないけれど、
じぶんの中では丸わかり。

そして丸わかったことが、
翌々日のおふろの中などで
また新たなことにつながったり。

そしてそれが、チネイザンの先輩である
しずかさんにフィードバックセッションを受けた時に
話していたことと全く一緒だったことに
ちょっとばかり唖然としたり。

そしてチネイザンをするということは、
ほんとうに、じぶんの何もかもを
さらけ出すことなんだなぁと
あらためて気がついたりしたり。


でもそうやって、じぶんの中のなにかに
気づいたりしていくことは、
じぶんの根っことお近づきになっていくこと
なのかもしれない、と思ったり。

これはじぶんでそう思ったのではなくて、
半年ぶりに行った美容院で、
すごーく褒めてもらいまして。

この半年で驚くほど変わったらしいです。
髪が。

髪の毛は葉っぱのようなものだから、
根っこが元気がないのに
葉っぱだけ元気なんて事あり得ない、
ということなのだそうです。

葉っぱである髪の毛を感じてみると、
じぶんの根っことすごく仲良くしてるのが
感じられると、褒めてもらいました。

素直にうれしかったです。


エンカウンターの体験に話を戻すと、
ひとと向き合って話すことをしたのだけれど
そこから見えてくるものは
やっぱりじぶんなのだなぁ。

仲間とするのもおもしろそうだけれど、
知らないひとたちとの場に飛び込んでいくのも
なんだかおもしろそう。

また機会があったら体験してみたいです。

このページの先頭へ

犬”目線”を感じて、自然との共生を考える
~地表40センチの世界~

2009年 7月 24日 | たいけん | 2件のコメント

090724

またまたシブヤ大学の授業に参加してきました。
今回は「犬”目線”を感じて、自然との共生を考える
~地表40センチの世界~
」。


おもしろかった!
そして「なるほどー」と思ったり、
考えさせられたりするお話もたくさん。

ちょっとシェアしたいと思います。


「やっぱり土がすき」
嗅覚が人間の100〜100万倍と言われている犬は
“においの世界”に住んでいるのだそう。

そんな犬にとって、土はにおいの宝庫だそうです。
散歩に出て、においを嗅ぐのが
楽しくてしょうがないんだろうな。

そして森林浴でよく聞くフィトンチッド。
このフィトンチッドは地表40cmのところが
一番濃いのだそう。

森林浴しながらお散歩してるようなものだとは。

だってだって。
例えば、サッカー場の芝生を全部刈って、
その真ん中に立って、スーーーーっと息を吸いこんで
葉っぱの青いにおいを人間が嗅ぐとするじゃないですか。

それが犬だったら。
人間と同じだけのにおいを嗅ぐのに
どれくらいの面積の芝生を刈ればよいかというと、
たった1枚の葉っぱを刈ればよいのだって。

そんな犬が、においたっぷり、
フィトンチッドたっぷりの世界をお散歩するなんて、
ほんとに気持ちいいんだろうなぁ。

それからなんと、地面に直接触れている
肉級から栄養分を吸収できるとも言われているとか。


そして考えさせられたのが、
やはり、マナーのお話。

最近は犬を(または猫を)飼っているひとが
とても多いような印象を受けるのだけれど、
ドッグオーナーの割合は、なんと
日本人の2割でしかないのだそう。

ということは、8割は、ドッグオーナーではない
(当たり前だけども)。

日本は犬社会ではないのだなぁ。

わたしは、非ドッグオーナーであるたくさんのひとたちに、
勝手な価値観や判断をおしつけてはこなかっただろうかと、
しばしじぶんを振り返りました。

うんちをしたら持って返る。
公共の場では絶対にリードは外さない。
じぶんの犬の特性を知り、過信はしない。

ということには気をつけているつもりでしたが、
うちではおしっこした所に水をかけるのを
していませんでした。

それは、そうする意味について
考えたこともなかったし、
考えようとしたこともなかったから。

郵便ポストの足が腐食する。
草木が枯れる。

そんなことが起こっていたんですね。
反省。

ペットボトルがうちにやってきたら
水を持って歩こう!とオットさんと決意
(小さいペットボトルなかなか買わないもので)。


それから、犬は“もらいあくび”をするそうです。
それって「共感力」があるってことなんだそう。

ということは。
犬と暮らすことによってたっぷり癒されるわたしたち。
癒されてしあわせなわたしたちに共感して
犬もまた癒されてしあわせな気分になる。
その犬と一緒にいると…、という
なんとも素敵な循環が起こっているということで。

犬とだけではなくて、“誰かと暮らす”って
じつは、こういうことなんだなぁ。
素敵。


【追記】
カッパさんが書いてくれたコメントを読んで、
この授業の帰り際にgentle oneからもらった
『gentle one ship』も書いておこうと思いました。



gentle one ship
〜社会との共存に向けた“スマートドッグオーナー”
                   10+1の宣言〜

1. 飼い犬、そして緑を自然をずっと大切にします。

2. 散歩中のウンチは家に持ち帰り、
  途中のゴミ箱にもポイ捨てしません。

3. モチロン、ペットボトルやタバコの吸い殻など、
  ゴミのポイ捨てもしません。

4. 臭いや腐食の原因となるオシッコの跡は残しません。

5. 散歩の時はリードを付け、
  状況の応じて長さの調節を行います。

6. 人に迷惑をかけないよう“しつけ”を心がけます。

7. 犬が苦手な人もいるので、
  公共の場では周囲に気を配ります。

8. 飼い犬も社会の一員として認識します。

9. 飼い犬の粗相は飼い主の粗相と考えます。

10. 飼い犬と一緒に毎日を楽しみます。

        +

1. 飼い主である前に、1人の社会人として
  公共のマナーを守ります。




DOGSHIP
http://www.dogship.com

gentle one
http://gentleone.jp/

このページの先頭へ

みんなではなそうセックス・ライフ

女性の間で語られることがタブー視されてきたセックスを誰かと話してみることで、これからのもっと素敵なセックス・ライフを送ってみませんか?

という言葉に引かれてシブヤ大学の
みんなではなそうセックス・ライフ」の
授業に参加してきました。

オットさんとは話しますが、
それ以外の誰とも、
セックスについて話したこと、ない。

みんなそんなものなのかな?

そういうことに興味のあるお年頃にも
したことなかったな。
後で知ったけど、友達はわたしの前では
話さないようにしていたらしい。
なぜだろう。

純粋に見えていたのか、
お子ちゃまに見えていたのか、
堅物だったのか。

そんなわけで、そういうことを経験しないまま
すっかり大人になってしまったわたし。


オットさんとの結婚生活を重ねていくうちに
「セックスについてわかりあうってほんとに大切」
と思うようになった。

となったら、話してみたいじゃないですか、
真剣に、セックスについて。

なので参加してみたわけです。


結果から言うと、授業はちょっと
期待値を下回るものでした。

ガールズ・ガイド・セックス』という
イギリスのテレビ局で放送されたセックス教育番組の
DVDの視聴をはさみながらのものだったのですが、
なんだかそれもプロモーションの為の授業?という感想。

でも、参加したひとと少しお話しして思ったのは、
セックスというものにきちんと向き合ってみたいと
思っているひとが、やはりいるんだということ。

それは、悩んでるとか悩んでないとかじゃなくて、
もっとじぶんを知ろうとする過程として。

「わたしはこうなんだけど、あなたはどう?」
と、いつもよりこころをオープンにして話してみたい
という感じがすごーく、した。


とりあえずその日はオットさんに
あーだこーだと授業の感想を述べたり、
DVDのチラシを見ながら話したりして、
セックスについて話したい欲求を満たしたのでした。


あ、そうそう!
“いきなり(だったかな?)排卵”というのがあるそうです。
月経周期で排卵する期間があるではないですか。
そうではなくても、いきなり、突然、
排卵してしまうことがあるのだとか。

とても久しぶりに会えてすごくうれしい!
とか、気持ちがアップすると、
排卵することもあるそうなのです。

なんかこの話を聞いて、
授かり婚の謎が少しわかった気が。

周期的には妊娠する時期ではないけれど、
「一緒にいられてしあわせ〜」とか
「このひとの子供がほしい〜」とか
あたまじゃなくて、
本能というかからだが
GOサインを出したら排卵するのかー、って。

ほんとにからだとこころは
つながってるんだなぁ。

このページの先頭へ

ボディーワーカーによる瞑想”超入門

2009年 6月 25日 | たいけん | 2件のコメント

0906251

クラニオメイト・kazuhaさんのワークショップ
ボディーワーカーによる瞑想”超入門」に出てきました。


瞑想をはじめてやってみたのは
クリパル(現YOGA OF Life)の
瞑想入門に通った時ではないかと思います。

三浦さんのガイドでいろいろな瞑想法を
体験させてもらって、おもしろかった記憶が。

その後、クラニオを学んで、
OSHOのの瞑想をいくつか体験したり。

去年はヴィパッサナーに行ってみたり。

と、まあ、いろいろやってはいるわけです。


「クラニオプラクティショナーたるもの、
 瞑想をしなくては」
という思いから、ひとりでもしたりしますが、
今ひとつ達成感がないのですよね。

わー、今日の瞑想深く入れた!
とかが。


そんなわけで、kazuhaさんの

「体の感覚」に意識を向けることを利用して
マインドを落ち着ける

という言葉に魅かれて、参加することに。


なんというか“kazuhaさんらしら満載”の
ワークショップでした。

どこが?と問われれば、

ちょっと話の多い瞑想入門になりそうです

と本人も書いているように、
お話の多いワークショップでした。

瞑想のワークショップって
「とりあえずやってみましょう」
というものが多いように思うのですが、
その前に、という感じで
瞑想や意識についてお話してくれました。

これがよかったんですよ。
どんな話しか詳しくは、次回開催される時に
参加して聞いていただくとして、
ひとつだけ。

「瞑想することの着地点を決める」

なるほどー!
と、目からウロコのお話でした。

漫然と「やらされてる感」、
「やらなきゃいけない感」満載の
じぶんに気がつきました。


そして“ボディーワーカー”ならではの
「からだ」を感じる瞑想。

これって瞑想だったんだ、と
おどろきました。

でも、kazuhaさんのガイドによって
からだを動かしたり、
からだに意識を向けたりした後の
じぶんの落ち着きっぷりにもびっくり。

「どんな感じでしたか?」と
シェアの時間が持たれるのですが、
もう口を開くのもおっくうで。

この落ち着いた状態から浮上したくないー、
という感じになりました。


これって今までにはなかったことでした。

今までは
「じぶんの体験した感覚とかを話したい!」
とムズムズしちゃうことが多かったかも。

からだの感覚とつながりながら
意識の雑音を下げていくと
こんな感じになるんだと、新たな発見。


からだと意識のつながりについても
また改めて実感させてもらったり。

頭ではわかっていることだし、
今までにも体験したことあるのだけれど、
それでもまた、あらたに感動。

わたしのからだってばすごいじゃない!と。


くるりのライブの時にも書きましたが
ここのところずっと、腰が痛くて。

普段の生活に支障が出るようなことは
ほんの時たましかないのですが、
ストレッチしたりのからだを動かすのには
もう、てきめんにきちゃうのです。

前屈なんか90度ですよ。
直角以上に曲がらないの、はじめは。

そんなストレッチでも、
ほんの数日続けているだけでも
ややほぐれてはくるのですけどね。

でもkazuhaさんのガイドで
最後は前屈みたいな体勢になるような
からだに意識を向けて動かしながらの瞑想で
手がね、床に届いたんです。

途中で2ヶ所ほど
すこし痛むポイントがありましたが、
なんなく乗り越えられて。

もとの姿勢にもどった後に
椎間板がギシギシいってるのが
とてもはっきり感じられました。

錆びちゃったギシギシ、ではなくて
今まで固かったものに
(それ自体の)動きが生まれて
その状態にまだ慣れていなくて
動きがぎこちない、というギシギシ。

後になって痛みだしたりするかな、
とすこし心配しましたが、
一夜明けた今日もなんともなく。

いかに意識によって動きが制限されていることか。


「瞑想”超入門パート2」とかあったら
また参加したいなあ。

このページの先頭へ

Dialog in the Dark 2009

目以外の何かで、ものをみようとしたことがありますか?

暗闇の中の対話。
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、足元の葉と葉のこすれる枯れた音と、その葉を踏みつぶす感触。
土の匂い、森の体温、水の質感。
仲間の声、乾杯のグラスの音、白杖の先の触感。

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
まっくらやみのソーシャルエンターテイメントです。




またまた今年も行ってきましたダイアログ・イン・ザ・ダーク

おそらく2005年が初めてで、
2006年2007年と行って、
そして今年で4回目ではないかと。

惜しいことに最初に行った時に書いたものは
多分もう消してしまっています。

なにかを新しくしたり始めたりする時に、
それ以前のものをさぱーっと消したくなるという
わたしの性分がよく出ているなー、と我ながら。


話それました。


2年ぶりの真っ暗やみは、
いつも通り真っ暗やみでした。

どんなに目を凝らしても見えないのに、
どうにかして“見よう”としてしまう。

前のひとの背中が見えているような気がして
立ち止まり、手をかざしてみてはじめて
それがまるっきり“気のせい”であることに気づく。

それから、暗やみの中だと
とても自然に声が出せる。

「○○しまーす」
「ここに××ありまーす」
「はーい、大丈夫です」
「ぶつかっちゃいました、ごめんなさい」
「ありがとうございまーす」

どんどん言える。

それが明るいところに帰ってくると、
途端に意思表示を“うなずく”などの
声を発しないものへと変えてしまう。

多分、これ、毎年思ってたり書いたりしている。

終わったすぐ後は意識しているんだけども
いつの間にか、どこかに行っちゃってる。

1年に1回でも、気づき直せる場があるって
ものすごいしあわせだ。


いつものことですが、
なんだかしあわせな気持ちで
会場を後にして、帰ってきました。

2007年の時も、今回も思ったのだけれど、
2006年の回では「靴下の方が地面の感触がよくわかります」
ということで、靴下参加したんですよね。

それがすっごくよかった記憶があるんです。

真っ暗な中では、ほんとに触覚って大切で、
それを靴底からじゃない足からも感じるって
すごくいい体験だったなー、と思っていて。

それ以降はいつも「靴下参加できますか?」
と聞くのだけれど、それは出来ないようで。

またいつか、靴下参加ができるような
内容の時があるといいな、と切に思います。

このページの先頭へ

Mastering the Inner Judge

090309

Freedom to be yourself Mastering the Inner Judge
に参加してきました。

この体験を言葉にするのはむずかしいな。
頭を使わなきゃいけないので。

ちょっと今は書く努力を放棄。

わたしの中の“空白”と思っていたところが
じつは“空白”ではないんだ、という気づき。

そこを掘り下げていくのは、
時間もかかるし、
勇気もいるし。

でもね。
「わたしは、わたしを自由にできる!わたしから」
ということは、知った。

いや、知識としては知っていたけど。

うむ。
そんなところです。

このページの先頭へ

ハコミ・セラピー ワークショップ

2009年 2月 24日 | たいけん | 2件のコメント



膀胱炎になる前に、参加してきました。

クラニオメイトのこーたろーさんかおるさんの家が会場で、
参加者6人中5人がクラニオメイトで、
あとお一人のロルファーさんもお会いしたことがある方、
というなんとも安心できるスペースで受けてきました。

講師をしてくださったのは玉木素子さん。

さてハコミ・セラピーとは。


ハコミセラピーは、1970 年代に、アメリカ人ロン・クルツ(Ron Kurtz)氏によって確立されたセラピーです。仏教と道教の教えに哲学的基礎を置きながら、西洋のさまざまなセラピーを統合する事によって生まれた、アメリカで最も新しいセラピーのひとつです。

「ハコミ(Hakomi) 」という言葉は、ネイティブアメリカン、ホピ族の言葉で、「日常のリアリティのさまざまな側面に対して、あなたはいかに参画しているのか(How do you stand in relation to these many realms)」という意味があります。言いかえるならば、「あなたは何者か」とも言えるでしょう。

ハコミセラピーは、心とからだのつながりを重視し、とても静かで穏やかなものです。瞑想にも似た、自分の内側を静かに観る状態にとどまり「今、自分の内側で何が起こっているのか」に気づくことで、それまで人生をコントロールしていた固定観念や思いこみ、きめつけやあきらめを変容させていきます。

セラピーの雰囲気は、セラピストがやさしく寄り添っていく感じで、安心感があり穏やかです。ハコミセラピーでは、これをノンバイオレンスと呼び大事にしています。生きづらさを感じている人はもちろん、健康な人がより健康になっていくための、たいへん優れたセラピーです。

               ハコミ ジャパンより

じつはわたしはハコミ・セラピーのことを
なんにも知らないまま参加したのでした。
信頼できるひとからのお誘いであることが
いちばんの理由でした。

クラニオ・プラクティショナーとして
得るものがあるといいなぁと思っての
参加でももちろんありました。

結果は、
クラニオ・プラクティショナーとして、
なんてものじゃなくて、
わたしにとって、すごくよかった!

ハコミの概念に『ラビング・プレゼンス』
というものがあるのですが、
それは、“セラピスト(プラクティショナー)が
クライアントからまず満たしてもらう”
というものなのです。

「満たしてもらう」といっても
相手からなにかを搾取するわけではありません。

一緒にいさせてもらうことで、
相手から喜びだったり、愛だったり、
“なにかはわからないけれど
 わたしを満たしてくれる、なにか”
を感じさせてもらうのです。

これがおもしろかったのですよ。
あ、「おもしろい」というのとは
ちょっと違うかもしれないんですが。

チャネリングの講座とか、
ヒプノセラピーとか、
そういう時に
“じぶんが感じていると思っているもの”に
じぶんでものすごく疑いを持っているのです、わたし。

なにかを感じて(感じたと思って)
それを口にしているのと同時に
「えーわたしこれ作って言ってるんじゃないの?」
と思うわたしも存在しているのです。

それがラビング・プレゼンスのワークの時には
疑いの声などまったく聞こえなかったのですよ。
というか、そんな声が聞こえていたことなど
まーったく思い出さなかったというか。

かおるさんが「チャネリングみたい」
というようなことを言うのを聞いてはじめて、
そういえば
と、思ったのでした。

それから、ワーク中に思わず泣いてしまいました、わたし。
もうすっかり克服できてたと思っていたのにな。
そのことでわたしが悲しむことで、悲しむひとがいる、
ということが大きな枷になっていたのかしら。
そのことで泣くのは、いつもひとりの時。
誰かの前で泣いたのは、きっとオットさんくらい。

なので泣いたじぶんにとても驚いたけれど、
泣いた後は、からだがとても軽くなってました。

あ、もちろん
“ただ感情的に身も世もなく泣きまくった”
というのではなくて、
ちゃんとハコミのテクニックを使って
からだとつながって、
感じて、
周りのサポートがあって、
感情をリリースできたのです。

わたしのある動作を深めた時の
あまりに急な、
そしてとても激しい感情のわきあがりには
ただただ驚くばかりでした。

はぁー、おもしろい体験でした!
ハコミ、おもしろいなぁ。
機会があったらまた受けに行ってきます。

このページの先頭へ

外側のわたし

2008年 10月 22日 | たいけん | 4件のコメント



おともだちのきよちゃんが
ビジュアルコーディネート
というものの勉強をしている、
ということで、モデルをさせて
もらってきました。

本日はカラー。

わたしに合う色とは?というのを
きよちゃんと先生に見てもらいます。

わたしの好きな色は
はっきりしていて、
それでいて明るい色味のもの。

が!
わたしに似合うという色は
今までわたしが避けてきたような
色のものだったのです…。

わたしには似合わない!
と、なぜか思っていたんです。
そういえば、なぜなんだろう?


そして、わたしについてのイメージで
出て来た言葉が“ソフト”。

えー、ソフトじゃないよ!わたし、
と、抵抗するわたしが出て来ました。
そんなのわたしの外側しか見てないじゃない、と。

その時はたと気づきました。
そうかー、外側が見えてるんだ!
ということに。

わたしが自分で見ることが出来ない
わたしの外側を見ていてくれているんだ。

今までわたしは
「外側のわたしはわたしじゃない」
ぐらいに思っていたみたい。
だから写真撮られるのきらいなのかな。

内側のわたしが知っているわたしが
ほんとうのわたしなんだって。

でも、外側のわたしもわたしだった!

わたし、気がついちゃった!
と思うと同時に、
今まで気づかなかったなんてすごい!
とも思いました。

気がついちゃったら、これからは
まわりの人が言ってくれるいろいろに
ジタバタすることが少なくなる。
はずです。

来月はメイクを見てくれるということで
とっても楽しみです。

このページの先頭へ

こんなの持ってましたか、わたし

2008年 10月 8日 | たいけん | 2件のコメント



というのが出ちゃいました。
アバターで。
と言っても、アバターのコース受けてませんが。

アバターは、クラニオメイトのkazuhaさん
どっぷり漬かっておりまして、受ける前から
現在に至るまで、時々刻々と経過を見てまして。

kazuhaさんの話を聞いていると
俄然アバターに興味がわくのです。

で、もう何ヶ月も前なのですが、
こちらもクラニオメイトのくろちゃんに誘われて
アバターのイントロに行ったことがあるのです。

ですが、その時はなんだかちっともすっきりしなくて、
ただただ疲れた、という感じで帰ってきたのです。

「アバターはわたしに必要ない」とその時は思ったのですが、
kazuhaさんの話を聞くたびに、くすぶり続けるのです、
わたしの中のなにかが。

なのでkazuhaさんに
「わたしが興味がわく話をするkazuhaさんに
 アバターのイントロを受けてみたい」
とお願いして、やってもらいました。
前のイントロでものすごくすっきりしなかった
“透明な信念”というものについてを。

そこで出ちゃったのですね。
タイトルみたいなものが。

お読みの皆さまが引くと、わたしが悲しいので
ここはあえて内密にさせていただきますが。

いったいいつわたしは、
こんなものを持ったのでありましょうか。

でも、これが出てみると、
その前に書き出していた「信じていること」が
すごーく、なっとくいくのです。

そんなの持ってたらそう信じているにちがいない、
ということばかりだったのですよ。

大笑いです。
ほんとに。
おもしろかったー。
あー、すっきりしました。

すっきりしたせいか、これですぐに「アバター受ける!」と
思い込んだわけではちっともありませんでした。
かえって、くすぶっていたものが鎮火した感じなので
むしろ今はアバターのことを考えなくなったかも。

でも、わたし騙されちゃう、とか
洗脳されちゃう、とか
向こうの都合のよいように誘導されちゃう、
とかの心配は必要ないのかも、ということが
わかったのはよかったなー、と思います。

このページの先頭へ

ヴィパッサナー その2

2008年 6月 17日 | たいけん | 8件のコメント

ヴィパッサナーの瞑想センター ダンマバーヌでは
コースが始まったら、「聖なる沈黙」を守らなければなりません。


身体・言語・精神の沈黙を指します。
身体によるジェスチャー、書くこと、
合図などのいかなるコミュニケーションも禁じられています。

というのが「聖なる沈黙」です。

行く前や、はじまったばかりのころは
「わたしってそんなに人と話さなくても平気だし
かえってその方が気楽でよいよね」
ぐらいの気持ちでいました。

確かに気楽であることはあるんです。
が。
「すみません」も
「ごめんなさい」も
「ありがとう」も
言えないというのはちょっと大変でした。

人のめがねを蹴ってしまったことがあって、
どうしようー!
謝りたい!
と瞑想時間中に悶々としたことがありました。

そして聖なる沈黙を破って、ジェスチャーで
めがね、ごめんなさい
と伝えてしまいました。

その時は謝ることが出来てすごくホッとしたのです。

そしてわたしはまた同じことをしてしまったのです。
違う人のめがねを蹴ってしまって、
そして前の経験があるから、
伝えればじぶんの懸念が消えるのを知ってしまったから
またジェスチャーで伝えたのです。

でも講話を聞いていて気づきました。
わたしは相手のことを思って謝ったんじゃないってことに。
めがねが壊れていない、とか
相手の人が怒っていない、とか
そういうことを確認して
わたしが安心したかっただけだったんだー。

わたしのそんな気持ちのせいで、
相手の人たちにも聖なる沈黙を
やぶらせることになってしまったのです。

うまーく自分自身に言い訳して
自分を気持ち良くさせていたのです。

わたしの感情は、わたし自身でなんとかすればいいんだ。
そして相手の感情は、その相手の好きにさせればいいんだ。
そしてわたしは、その相手をただ見守ればいいんだ。
そう思いました。

そう、「言い訳いっぱい」ってことにも気づきました。

だって、頭の中で思考が巡っているときに
「それはこういう意味でそう思って」とか
言い訳の思考が出てくるんですよ。
いったいわたしは誰に言い訳してるんだ?
とか思ったとき、愕然としました。

そうして
あれも言い訳だった、
これも言い訳だった、
と、今までしてきた、そして今もしている
言い訳にどんどん気がついてきちゃったのです。
もう笑っちゃうくらいたくさんの言い訳に埋もれて
わたしは生きているんだなー、って。

ふふ。
笑っちゃいけないんだけど、
ほんとにひとりで笑っちゃいました。

10日目の9:00に聖なる沈黙は解かれるのですが、
そこからたくさんおしゃべりしました。
これがすごく楽しかったのです。

やっぱりそう思ってたんだ!、とか
へー、あなたはそういう状態だったんだ、とか
そうか、なるほどねー、とか
いろいろ思うこと満載でした。

そしてやっぱり「聖なる沈黙」は必要だったんだな、
とあらためて思いました。
だってひとの話を聞いたら、じぶんで考えることを
やめてしまった時もあったかもしれない。

それにびっちりのスケジュールの生活で
おしゃべりしてたら、きっとだらだら行動しちゃったかも。
というか、おしゃべり解禁になった後は
やはりちょっとざわついた雰囲気になったから。

それから「ありがとう」って言えるってしあわせ!
とものすごーく思いました。
伝えることが出来る、ってやっぱりすてきなことです。

ヴィパッサナー、行ってよかったなと思います。
こころから。

じぶんにどのような影響があったのか、
もしくはなかったのか。
それはこれからの生活の中で
わかることなんだろうと思います。

話を聞くだけ、本を読むだけではなくて、
体験してみてほんとうによかったです。

と、まとめのような言葉を書いてますが、
なんだかもっと書きたいことある気がする。
でも迸るように書くような感じでもないのです。
なので、思いついたらまた書きます。

このページの先頭へ

カレンダー

2012年5月
« 4月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

アーカイブ

hiyoriの最近読んだ本