村上春樹のスピーチ

2011年 6月 13日 | つれづれ | 2件のコメント

お久しぶりのブログです。
みなさまいかがお過しですか?

地震から3ヶ月。
わたしはいろいろありつつも毎日を生きています。


が終わってしまってからも楽しみにしている「うちに帰ろうぜ日記」で
スペインのカタルーニャ国際賞授賞式での村上春樹のスピーチが紹介されていました。

チネイザンのプラクティショナー養成コースのお手伝いに行くのに
もう家を出なくては…、と思いつつも読むのをやめることが出来ませんでした。


村上春樹が正しい!と思ったわけでも、
わたしも同じことを思っていた!というわけでも、
スピーチの一節にこころ打たれたというわけでもないのです。

ただ、なんだかとっても深いところに響いてきました。
その“響き”がなんなのかは、まだよくわからないのだけれど。


きっといろんなところにこのスピーチが載っているのだろうけれど、
じぶんのためとしても、全文転載します
(「うちに帰ろうぜ日記」のニュースソースである毎日新聞のサイトより)。



「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。


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落語の力

クラニオメイトのプラティーマに誘ってもらって
「東日本大震災チャリティ落語会 ー落語の力ー 」に行ってきました。

初落語!
プラティーマから誘ってもらった時に
「あ!笑いたいな」と思ったので迷わず話に乗りました。


「さぁ笑うぞ!」なんて、落語家の方たちからしたら
とんでもない(かもしれない)姿勢で臨んだわたし。

はじめのうちは、口元は笑うけどこんなもんなのかなー、なんて思いましたが
林家木久翁さんからは「あははは!」と念願の大笑い。

“落語”として面白いのかどうかは、正直わかりませんでしたが、
面白い話を聴かせてもらった、という満足感いっぱい。

たっぷりと笑わせてもらって、大満足で会場を後にしたのでした。


今のわたしに必要なのは、この“ちょっとした”
フットワークの軽さだなぁ、って。

心の底から行きたいぞぉぉぉぉ!というものでなくても、
こころが動くものには軽く出かけてみたらいいんじゃないかなって。

慎重さと気軽さとをバランスよく。

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チネイザンチャリティWS in 横浜のおしらせ

みなさま、いかがお過しですか?

大好きなチネイザンの先輩、土屋静さん
チネイザンのチャリティワークショップを開催するとのことで、
このブログでもお知らせします。


もう少しで大地震から1ヶ月。
あっという間なのか、とてもゆっくりなのか、
時間の感覚がよくわからなくなっていませんか?

わたしは家に閉じこもり、テレビもPCも見ず、
ブランケットにくるまってじっとして過していました。

このままじゃどんどん動けなくなっちゃう!
そして最後に自分を助けてくれるのは、
わたし自身が元気でいること!と強く思って
こちらもチネイザンの先輩の幸代さんのところで
フットマッサージを受けてきました。


足をマッサージされつつおしゃべりをして、
こころもからだもゆるっとゆるむことができました。

ゆるんだらば、地震からそれまでの間に
すごーくがんばってくれた内臓たちが
一気に主張し始めました!


きっとみなさんのお腹も、そうじゃないかと思うんです。
だまってショックを受け止め、日常を送らせてくれているんだと。

そんな時にこのワークショップで、じぶんのからだに目を向けたりできる
時間を過すというのは、とっても大切なんじゃないかと思います。

しずかさんの纏う空気に包まれるだけで、
それぞれのひとの内にある静かな場所を
思い出すことができると思います。

4/16(土)  【秘教科学】チネイザン(気内臓療法)入門
日時:2011年4月16日(土)
   13:00〜18:00

会場:ヨガ スタディ センター
   神奈川県横浜市中区尾上町5-73 馬車道ビル3F

講師:土屋 静

「東北関東大震災の影響を考慮し、開催趣旨を変更して、
 チャリティー・イヴェントとさせていただきます。」
   

昨年大好評で再度開催の要望の多かった 土屋静さん の チネイザン、
時間を倍増して、今回はじっくり味わっていただけるようにしました!


チネイザンは気内臓療法と呼ばれ、古くからタオイストに伝わる気功療法の一つで、深くソフトなタッチでお腹全体に働きかけるホリスティックなセラピーです。
文化大革命などの影響で歴史から消え去ろうとしていたテクニックですが、タオの世界的権威である謝明徳老師(マンタクチア師)が現代医学を取り入れて再生したものです。

元来、内臓と感情には密接な関係があります。チネイザンは内臓に直接働きかけるとともに、感情のバランスも整え、ストレスを軽減し、生命力を高めることを目指しています。
単に肉体だけではないホリスティックな療法として、チバソムなどの高級リゾートスパでも好評を博しヨーロッパやアメリカでも注目を浴びています。

今回のワークショップでは、お腹にいきなり触れていく前にウォーミングアップとして呼吸法で腹圧を整え、気功で体に気の流れを作り、瞑想法で内臓とコネクトしていきます。
毎日のケアとしても使えるセルフチネイザンのテクニックも織り交ぜながら、内臓と対話をしていくような一日にできたらと思います。


【講師プロフィール】  土屋 静 (つちや しずか)

Universal Healing Taoのマンタクチア老師やTaoZen Japanの大内氏に師事し、2002年よりチネイザンを含むタオのプラクティスを学ぶ。
“気づく事”、”自然体であること”、”自分に正直でいること”が内なるヒーリングのパワーを発揮し、よりパワフルに生を謳歌できるという事をタオから教えられる。

Universal Healing Tao公認インストラクター/チネイザンプラクティショナー
日本チネイザン協会公認チネイザンプラクティショナー
TaoZen Japan公認太極拳インストラクター
HPアドレス http://www.taooflife.jp


申込:秘教科学分科会・神尾
Tel&Fax:03-3672-8473
e-mail:kamio@subtle-eng.com
※氏名、住所、電話、勤務先をご連絡ください

【費用】  ドネーション
    (通常参加費5,000円と考えていただき、それを目安に各自の状況に合わせ、
     ご寄付いただければ幸いです。
    (少額しか出せない方は、それでも結構です。経費・実費を除き「ネットワーク
     地球村」で受付けている義捐金に寄付します)

【場所】 ヨガ スタディ センター 045-263-6616
     神奈川県横浜市中区尾上町5-73 馬車道ビル3F 

【定員】 15名  ※必ずご確認・ご予約の上、お越しください。 
     震災で心身のケアが必要と思われる方のご参加も、お待ちしております。
 
【服装】 ゆったりとした、くつろげる服装でお越しください。
     横になりワークしますので、冷えやすい方は上掛けをお持ち下さい。


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一週間

地震から一週間がたちました。

じぶんに出来ること、必要だと思うことをしながら
淡々と毎日を過すことを心がけていました。


寒がりのわたしが暖房を切って過していました。
と書くと、なんだかえらそうですがそんなつもりでは全くなくて、
本当に今のわたしに出来ることって

「こんなほんのちょっとのことだけ!」

って思ってしまうようなことだけなのです。

でも、その“ほんのちょっと”の積み重ねが大切なんじゃないかと思って
毎日を過しています。



そんなわたしの癒しであり、元気の源です。




【ここから追記】
ああでも!もちろん無理にがんばったりはしていません。
初めはすっごく力が入っちゃってたけれども…。
しのげるところだけ節電して、夜ご飯の時には部屋を暖かくしていただいています。

わたしが元気でいることが一番!と思って無理なく過ごしています。

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地震

犬もわたしも無事でいます。
オットさんも歩いて帰宅しました。

被害を受けられた地域の方々に心からお見舞い申し上げます。

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あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いします。

と、なんとものんびりとしたご挨拶となりました。


今年のお正月は、なんだかすごーくのんびりと
2人と1匹でくっつきあって過したなぁ。

あー、すごくいいお正月だった!


ということで、今年ものんびりと参りたいと思います。


と、書いてすっかり公開した気持ちになっていました…。
6日に書いたので、一週間たって気がついた。
これが今年のペースなのかも…。

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ありがとうございました!

今年も、なんだかあっという間に終わりです。
ブログもご無沙汰しています。

わたしは相変わらずな毎日を過しています。

今年はチネイザンのケーススタディセッションを始めたおかげで、
いつもよりもたくさんの方たちにお会いする事ができました。

どの方との出会いも、本当に楽しかったなー
と、振り返って思います。

なんだかほんとうに盛りだくさんな一年で、
とっても濃かったなー、なんて思います。

来年が(もう明後日!)どんな年でも
楽しんでいこー、と思ってます。

では、今年はどうもありがとうございました!
来年もどうぞよろしくお願いします。

みなさまにとって、来年もよい年でありますように!

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旅にでようぜ!



旅に出たいなー、と案外いつも思っていたりします。
もう旅が決まった段階、や、旅に出ようと決めた段階から
気分は一足先に旅立っちゃうのですよね。

前に書いたかもしれないけれど
パッキングがもうだいすきで。

あー、こう書いているだけで旅立ちたくなる。


ここ10年くらいは長い旅にも出ていないし。

一番長いものが1ヶ月間のタイ旅行。
次が3週間のスペイン旅行で、
そしてモルディブへの新婚旅行の2週間。
後は普通に1週間くらいとか。

どかーん!と長い旅に出てみたいなぁ、
と思っていたわたしの旅欲を
去年から一年間満たしてくれていたのが
旅にでようぜ日記」。


一年間の世界放浪の旅にご夫婦で
どかーん!と出られた旅のつれづれつれづれ。


もう、まずは、旅に出ちゃえる夫婦っていい!
って思いました。

ええ、うちのオットさんはまったくもって
そんなタイプではないので。

わたしが計画して、それに乗っかって、
乗っかっただけなのにすごく楽しむ!
というすごーくお得な性格ではありますが。


あ、話は戻って。

世界一周放浪の旅なのに
いきなりハワイに行っちゃうところも。

旅のはじめからグッとつかまれました。

なんか“大変”とか“過酷”とかを
求めてないところが。

ある種の「熱さ」がにおってこないところが
すごーくいいな、って。


読んでいるこちらが「追っかけなきゃ」という気分にならず
すごーくゆるーく旅のエッセンスを味見させてもらう気分で
(といってもこれはわたしだけなのかも…?)。

マメに読み続けたり、
しばらく離れたり、
気になる国のところだけを読んだり、
ガーッと集中して読んだり。

どんな読み方でもオッケーだと感じられたのが
わたしには心地よかったのです。


行ったことのある国は懐かしく、
行ってみたい国のことは興味深く、
行こうなんて思ったこともない国にも
興味深げなことがいっぱいあって。

まだまだ知らないこといっぱいだー、
となんとも当たり前のことを思ったり。


文章も、写真も、とても素敵です。
ご夫婦2人ともが文章上手いって!
素敵夫婦、と勝手に想像して
ひとり盛り上がってました。

ホームページからは
写真とかだけも見られるので
「しばらく旅に出られないんだよねー」
という方もぜひー。


と、書いている向こうの方で
出かけたオットさんを待ち続ける姿が。




そうそう、これがあるので長期の旅には
出られないのでした
(とか言って、スペインとモルディブは行ったけど)
(あわよくばまたどこか行きたいとか思ってるけど)。

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mishore presents「秋の収穫祭」のおしらせ

真弓さんと初めて会ったのはいつだろう。
と、振り返ってみたら2007年でした。

日記に書いた時にもすごーくおいしいお料理をいただいたし、
その前にクラニオメイトでこーたろーさんちにお邪魔した時にも
会えなかったけれど、ご飯の用意をしてくれていたのでした。


その後はお会いする機会がなかったのですが、
今年になってチネイザンのモニターになっていただいたり、
真弓さんがお手伝いしているwacocoroに行かせてもらったりと
お話する機会がぐーんと増えました。


そんな真弓さんからおしらせをいただきました。
なんともおいし楽しそうなイベント!

わたしは残念ながら行けそうにないのですが、
興味のある方はぜひー!


mishore presents  「秋の収穫祭」
 
          〜季節の変化が作る彩の世界〜

秋の深まった11月。
畑では体を温める根菜が寒さと共に美味しくなっていきます。
そんな旬の素材をふんだんに使って「料理家 山口真弓」が
素材を生かした”ブッフェランチ”を小粋な音楽と共に
みなさんにお届けします。

      
日    時:11月3日(水)12:00〜16:00(ラストオーダー15:00)

場    所:ライフスタイルカフェ wacocoro
        (住所)東京都大田区雪谷大塚町14−15
        (TEL)03−3720−8135

金    額:2500円(ドリンク別) 予約制

予約受付先:メール mishore_mayumiアットyahoo.co.jp
      (アットを@に変えてください)
      TEL 090-3532−2364
      または http://www.wacocoro.jp  



料理家 山口真弓 プロフィール

18歳より料理の世界に飛び込み独学にて数々の知識を得る。
2010年に料理家として独立。
食のブランド「mishore」を立ち上げ、現在は料理教室・ケータリングなどで活動中。    
        

演奏家プロフィール
        
鎌田 邦也 tenor sax
期待の若手ソリスト、ビックバンドを中心に埼玉、都内を中心に活動中

阿部 泉  bassスーパージャズべーシスト!!
ライブ、ライブサポート、セッションホスト等、多方面で活躍。

青木 武俊  guitar
ジャズスタンダード、ボサノバをメインに都内、神奈川で活動中。


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冬支度



暑い暑い!と言っていたのが
もうすっかり寒い季節に。

寒がりなため、ひとよりも
冬の訪れが早いと毎年思うわたしです。


そんなわたしの今年の冬対策として
あったかウールブランケットを買いました。

すっぽりくるまれるように、と
大きいサイズ。


ケモノ臭がするのでしょうか。
犬がクンクンと嗅いでいました。

そのうち犬のものとなりそうですが、
家でお洗濯ができるのがうれしいところ。


これで今年の冬はあったかく過せそう。

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